三原 鷹


タカ、高。天保71837から天保91839頃の生まれ。

嘉永71854、三原伝左衛門に嫁す。三原家の家格2小番(こばん)で、御小姓与(おごしょうぐみ)西郷家より家格は上であった(西郷家が小番となるのは10年後)

安政218559月頃、男子(名不詳)を産む。西郷が安政2929日付1855118日)市来正之丞(長妹琴の夫)宛の書簡で、「たかのこと、ひとえにお世話になりました。無難に出産いたし母子ともに息災の由、ひたと安心いたしました」と書いている。

安政310101856117日)娘のマサを産む。

文久21862、西郷が徳之島、沖永良部島(おきのえらぶじま)に流されていた頃に死亡20代前半)

 (マサは結婚したときモリと改名。夫の中村信義は西南戦争(1877)で戦死(25歳)、モリは大正3年(191457歳で没。)